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2009年6月 アーカイブ

2009年6月 1日

コウノトリ100年の歴史(その2)

(1)昭和14年~20年(1939年~1945年)ごろ 戦争による環境破壊
 コウノトリが巣をかける松の木が大量に伐採されました。松の根からとれる油を利用したり、戦地に木材を供給するためでした。
 これにより、コウノトリは日本で子育てをする環境を失ってしまいました。
 また、戦争はコウノトリの渡りルート(アムール川中・下流域・中国東北部~中国南部・朝鮮半島・日本など)を荒廃させ、生息環境をまるごと破壊してしまいました。

(2)高度経済成長期(1950年~60年代)
 豊岡盆地一帯に広がっていた湿田や湿地が河川改修・農地整備により消滅しました。これによって、ドジョウ・フナなどの水辺の生きもの(=コウノトリのエサ)がすみにくくなりました。
 また、農薬の使用が普及しました。農薬はドジョウ・フナなどの生きものを殺してしまうだけでなく、農薬に汚染されたドジョウ・フナなどを食べたコウノトリの体をむしばみました。
 コウノトリは生息環境とエサを失ったうえ、農薬で体をむしばまれ、激減しました。

▲豊岡盆地の湿田(豊岡では「じる田」と呼ぶ。) 水はけが悪く、ぬかるみ、腰あたりまで沈んでしまうので農作業がたいへんでした。しかし、水辺の生きものにとっては非常にいい環境で、たくさんの生きものを育んでいました。水辺の生きものを食べるコウノトリも、その1つでした。

(3)昭和30年(1955年) 官民一体となった保護活動の始まり
 減り続けるコウノトリを絶滅させないため、組織的なコウノトリ保護活動が始まりました。この年、行政と民間が一緒になって「コウノトリ保護協賛会」を結成しました。
 この団体は、昭和30年代に「コウノトリをそっとする運動」、「ドジョウ1匹運動」(兵庫県内各地からドジョウを持ち寄り、コウノトリのエサ不足を解消する)、「愛のきょ金運動」(募金)を展開しました。
 また、巣をかける松の代わりに人工巣塔を設置しました。しかし、その周辺の田んぼでは農薬がさかんに使用されました。
 保護活動にもかかわらず、コウノトリは減り続け、昭和34年(1959年)を最後にヒナは一度も生まれませんでした。


▲死亡したコウノトリと阪本兵庫県知事

2009年6月 4日

コウノトリ100年の歴史(その3)

(1)昭和40年(1965年) 人工飼育の開始
 野生のコウノトリの数が12羽まで減少したので、絶滅を防ぐための最終の手段として、野生で暮らすペア(夫婦)を捕獲し、ケージの中で飼育しながら繁殖させる「人工飼育」を開始しました。このとき、私たちはコウノトリと「もう一度数が増えたら、きっと空に帰す」と約束しました。


▲捕獲されたコウノトリ

(2)昭和46年(1971年) 野生コウノトリ絶滅
 最後まで野生として残っていたコウノトリが衰弱した状態で保護されました。懸命の治療が行われましたが、その甲斐もなく死亡し、コウノトリは日本の空から姿を消しました。

(3)昭和40~50年代ごろ(1965~1984年ごろ) 苦難の連続だった人工飼育
 ケージの中で飼育されたコウノトリは産卵はしましたが、無精卵であったり、孵化しなかったりで、ヒナは1羽もかえりませんでした。
 国内唯一の生息地である豊岡で孤立した小集団となったために近親婚を繰り返して遺伝的に劣化していたこと、そして有機水銀などの農薬で体が蝕まれていたことが原因でした。
 歳月が経てば、コウノトリの生殖機能も衰えてきます。昭和50年代の終わりには、飼育場は絶望感でいっぱいでした。


▲フライングケージの中のコウノトリ

2009年6月 5日

豊岡に帰ってきた?

▲田んぼの中を歩くJ0009

 昨日(6/4)、昨年7月2日に豊岡市城崎町戸島の巣塔から巣立ったコウノトリ(個体番号:J0009)がおよそ9ヶ月ぶりに豊岡で目撃されました。豊岡市福田や新堂の田んぼでエサを採ったり、羽繕いをしている様子が観察されています。

▲田んぼでエサ採り

 このコウノトリは昨年の巣立ち後、奈良県安堵町や兵庫県三田市で目撃され、昨年9月9日には豊岡市出石町三木にいることが確認されました。その後、愛媛県今治市、西予市を経て兵庫県上郡町に行き、上郡町では住民票を発行されました。

 コウノトリの観察をしている方が探されましたが、本日は見つからないようです。昨年9月に目撃されたのは1日だけ。もしかすると、またどこかに行ってしまったのかもしれませんね。(写真提供:兵庫県立コウノトリの郷公園)

2009年6月 8日

無農薬栽培は草取りが大変です!!

6月6日に無農薬栽培の雑草防除の研修会が開催されました。
農薬を使用せず米作りを行う際の最大のテーマは、
雑草をいかに抑えるか(少なく)させるかです。



本日は機械による除草を中心に研修会が行われました。
雨が降りそうな中での開催ですが多くの生産者に参加いただきました。




このように田んぼの中を機械と一緒に歩くと雑草が取れます!



なぜ雑草が取れるかというと、
下の写真の赤○の場所が高速回転し雑草を浮かしていくのです。
機械が除草してくれるといっても、
ぬかるんだ田んぼの中を歩き続ける作業は大変です!!
また、雑草はすぐに伸びてくるので、多い田んぼでは
収穫までにこの作業を、3~4回も繰り返さないといけません。
この苦労が秋に報われますように!!と思っています。

2009年6月 9日

ハチゴロウの戸島湿地から巣立ち

 6月9日午前6時38分、豊岡市立ハチゴロウの戸島湿地(豊岡市城崎町戸島)の巣塔のヒナのうち1羽が巣立ちました。
 この巣塔での巣立ちは昨年から2年連続です。
 

▲巣塔近くの湿地に降りたった幼鳥

▲巣塔の近くを飛ぶ幼鳥

 この巣塔では4月3日と4月6日に合わせて4羽のヒナが孵化していることが確認され、うち2羽は途中で死亡してしまいましたが、残った2羽のヒナが大きく成長していました。

 もう一羽のヒナも羽ばたきを繰り返しているので、もうすぐ巣立ちしそうです。(写真提供:兵庫県立コウノトリの郷公園)

2009年6月13日

戸島湿地のもう1羽のヒナも巣立ち

▲巣立ちの瞬間(写真提供:兵庫県立コウノトリの郷公園)

 6月11日午前6時21分、豊岡市立ハチゴロウの戸島湿地(豊岡市城崎町戸島)の巣塔のヒナが巣立ちました。
 この巣塔では2羽のヒナが成長していて、うち1羽は6月9日に巣立っていました。

 このヒナは巣から飛び立って城崎温泉方面に飛んで行き、しばらくの間、どこに行ったのか分かりませんでした。

▲巣から飛び立って、城崎温泉方面へ

 心配したたくさんの人が市内のいろいろな場所を探しましたが、その日の午後に巣塔の近くに戻ってきて、ほっとしました。

 これで今年の巣立ちは3羽目。次はどこの巣塔のヒナが巣立つかな?

2009年6月17日

野上の巣塔のヒナが成長

▲大きく成長した3羽のヒナ

 豊岡市野上の電柱上の巣塔のヒナが、親鳥と同じくらいの大きさに成長しました。

 15日午後3時ごろには親鳥が交互に巣塔に戻り、ヒナにエサを与える様子が目撃されています。
 また、16日午前10時ごろにはヒナのうち1羽が活発に羽ばたきし、10~20cmジャンプしている様子が目撃されています。

 4月23日に親鳥がエサを与える様子が初めて目撃されているので、孵化からもうすぐ2ヶ月が経ちます。巣立ちまでもう少しでしょうか。

2009年6月18日

小坂小学校近くの田んぼで

 6月12日午後4時ごろ、豊岡市出石町鳥居の豊岡市立小坂小学校南東の田んぼの様子です。

 2羽のコウノトリが離れてエサを採っていました。

▲オタマジャクシを、パクッ(後ろの鳥はアオサギです)

 約1時間、休むことなくパクパクと食べ続けていました。この田んぼにはオタマジャクシがいっぱいいるようです。
 
 よく見てみると、昨年巣立ちしてから各地を転々とし、先日豊岡に帰ってきたJ0009。豊岡以外でも生活できるのですが、これからもしばらく豊岡にとどまるのでしょうか。

▲お食事中でしたら、ごめんなさい。

2009年6月26日

伊豆の巣塔のヒナが成長

▲大きく成長した3羽のヒナ

 豊岡市出石町伊豆の巣塔のヒナが大きく成長しました。
 5月12日に2羽、18日にもう1羽の孵化が確認され、その後順調に育っています。

 6月24日の午前中には、親鳥(J381 オス)が出石町田多地、袴狭あたりの田んぼでエサを採る様子や、巣塔でヒナにエサを与えている様子が目撃されています。

 

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