コウノトリ100年の歴史(その1)
(1)江戸時代 ほぼ全国各地でコウノトリが見られた
コウノトリは日本の至るところで見られる鳥でした。江戸時代中~後期の絵や文章から、豊岡盆地にもいたことが分かります。
▲江戸時代後期の豊岡藩を描いた絵巻物。円山川沿いの水田にコウノトリが生息していたことが描かれています。
(2)明治25年(1892年) 狩猟規則公布
狩猟規則が公布され、ツルやツバメなどは保護鳥とされましたが、効率的な農業の支障となる有害鳥と認識されていたコウノトリは保護鳥にされませんでした。
明治初年から25年間、野生動物保護に対する国の手立てがない間に、水田を餌場とするコウノトリは全国的に絶滅に追いやられました。
(3)明治37年(1904年) 瑞鳥ブーム
出石鶴山(現豊岡市出石町桜尾)に営巣していたコウノトリが4羽のヒナを産むと、日露戦争の勝利とあいまって、この繁殖は吉兆であるとの「瑞鳥ブーム」がまきおこりました。
鶴山にはコウノトリ見学のための茶店が出されました。その後、第二次世界大戦前まで各地のコウノトリ営巣地に茶店が出されることが一般的になり、市外からも大勢の人々がコウノトリ見学に訪れました。
旧室埴村役場は鶴山の保護に乗り出し、看板を立てるなどして見物人に対するマナー啓発を行いました。また、兵庫県は鶴山の周囲18ヘクタールを銃猟禁止地に指定しました。
(4)明治41年(1908年) 狩猟法改正
鳥獣保護の根拠に初めて「希少性」が加えられ、コウノトリ、トキ、ヘラサギが保護鳥に追加指定されました。しかし、すでにコウノトリは全国的に姿を消しつつありました。
(5)大正10年(1921年) 史跡名勝天然記念物の指定
コウノトリの繁殖地として出石の鶴山が天然記念物に指定されました。
(6)昭和9年(1934年) 豊岡周辺のコウノトリの最盛期
豊岡盆地を中心に朝来市、京都府京丹後市にかけて15km×30kmの範囲に約60羽が生息していたといわれています。